私の最初の電話

音ゲ等長文語りしていこう

2022年5月20日の日記

 前回の記事を公開してから、数か月ブログを放置し、気が付いたら忙しい時期になってますます記事の更新が出来なくなり、ずるずると約11か月が経過してしまいました。そして重い腰を上げて記事を書こうとしたとき、私のPC内に、ブログに書くネタとして思い付いたことをメモした「ネタ.txt」が存在するのを思い出しました。それを開くと、次のようなメモが残っていました。

 

・「凸」と「凹」の書き順は、うけばこを最後に書くことを意識するとわかる

 

(中黒「・」も含め)原文ママで、これのみが記されていました。なんだこのブログのネタにしろと言わんばかりの状況は。しかも、改めて調べてみるとそれらの漢字の書き順は諸説あるうえ、ブログを放置している間にQuizKnockさんの動画でも取り上げられてしまいました。本当にどうしようもないです。書き順については、あまり雑なことを書きたくないので、ご自分で調べてみてください。じゃあネタ.txtに書くな。

MOTHERをやった話

 私は小学生だか中学生だかのとき、『MOTHER1+2』というGBAのゲームを初代DSに差して遊んだことがあります。これはファミコンのゲーム『MOTHER』とスーファミのゲーム『MOTHER2』のいわば復刻版のゲームです。しかし、無印の方のMOTHERは最序盤(具体的には、墓場の探索あたりだったと思う)までしかやらず、MOTHER2の方をちゃんとやっていました。無印の方をちゃんとやらなかった理由は、「なんかよくわからなかったから」だったような記憶があります。

 時は流れて2022年2月10日、Nintendo DirectでMOTHER、MOTHER2Nintendo Switch Onlineへの追加が発表されました。そこで、数年越しにMOTHERをクリアまでやってみることにしたのでした。そこに想像を絶する地獄が待っているとも知らず……。

 大袈裟な前振りをしてしまいました。が、結論としては、私がMOTHER程度の不親切さで気が触れてしまうほど器の小さな人間であることがわかりました。あるいは単純に私が無能なのかもしれません。数時間、ひどいときは一日中ストーリーの進行方法がわからず、足踏み状態になることが何回か発生しました。MOTHERをやったことある人向けの、かつあまりネタバレをしない程度の説明をすると、まず序盤の動物園終了後で詰まりました。もうこの時点で、過去の私がこのゲームを途中で放棄した理由を悟りました。ひどかったのは、終盤で主人公がヒロインと踊りましょうみたいになるくだりのところです。そのイベントが発生する部屋に入るという選択に至るまで、かなりいろいろな試行錯誤をしました。ひとつ前の町まで戻ったり、マジカントに行ってみたり、砂漠の遺跡に行ってみたり。Switch Online特有のどこでもセーブも活用しまくりました。これをファミコン実機でクリアした人には尊敬します。「まだやってないのは……この部屋に入ることはしてないな……」と思い至り(場所的にはかなり近いが、私にとってはふつうそこに入ろうとは思わないであろう場所でした)、イベントを発生させることができたときは、新たな生命を誕生させることに成功したマッドサイエンティストみたいな笑いが出ました。血のにじむような試行錯誤の末、クリアすることができた私は、これをブログのネタに昇華させようと思うのでした。MOTHER、皆さんもぜひやってみてくださいね!

意見を持たない悲しきモンスターになりたくない

 Twitterでは、「社会に出ても使わない三角関数などやらずに……」とか「古文漢文が必修なのはおかしい」とかいう教育課程に関する意見が話題を集めるのがよく見かけられます。それに対して人々がとる態度は様々ですが、例えば次のような種類があるように見えます。

  • 無きゃダメだろう

三角関数は身近なこんなところで活用されている」とか「高校生が誰も古文漢文をやらなくなったらこの国は終わり」といった、人々が教養を無くすことを危険視した意見たちです。

  • 実際無くていいだろう

「人生で一回も使ったこと無いなあ」とか、あるいは「専門的な人だけ知ってれば社会にとっては十分でしょう」とかいう意見です。「無きゃダメだろう」派とは、そもそも「三角関数や古文漢文は『専門的』だ/でない」で思想の根本がズレていることが多いです。「無きゃダメだろう」派の人の「こんなところに役に立っている」に対し、「世の中のシステムの動作原理すべてを理解する必要があるのか?」という鋭い意見を飛ばすこともあります。

  • 教育課程で得られる教養を身に付けている人がその能力を活かせる社会であるべきだ

これは状況を少し深堀りした意見ですね。「三角関数を知っていることが役に立たない社会が悪い」ということです。厭世的な場合も建設的意見(のつもり)の場合もあります。

  • そんなことより■■■■だ!

これはもはや今回の題材が関係ないですが、Twitterでよく見るいわばあるあるで、「そんなことより動く点Pなんなん」とか「みんなが面倒なこと考えてる間に自分は(流行りのコンテンツ)をやる」とか「とりあえず何か書いとけ」とか「うちの猫がかわいい」とか雑多なものたちです。

 ここまで、私の筆の赴くままに好き放題書いてきました。改めて読み返すと、「お前は世の中の全てがわかった気になっているのか?」とさえ思います。さて、ここからが私の言いたいことで、ぶっちゃけ教育課程うんぬんの話はあまり関係ありません。そして、それは私自身への戒めです。

 私が言いたいのはそもそも、例えば先の4種類のうちのどれかのような、何らかの意見を持っておくべきだということです。言い換えると、俯瞰しかしないのはダメだということになります。4つ目の雑なやつでも、俯瞰しかしないよりかマシだと思います。インターネット上でいつも他人より上の「層」を目指して周囲を俯瞰し、1段落目のような文章を書きたくなっちゃうのは私の性であって仕方のないことと割り切っています。しかしこれは、自分自身の意見が存在したらそれもどこかの「層」に収まってしまうということへの恐怖を生んでしまいます。この恐怖にたじろいでいては、やがて意見を失って人間性を喪失した悲しきモンスターに変貌するでしょう。その最悪の終着点を避けるため、自分の意見を無理やりにでも持っておいて、人間性を確保しなければならないのです。

 ちなみに私の意見は、「三角関数といった理工系の教養が必須の時代になってくれたら私個人的に嬉しいし、データサイエンスの時代を謳うなら実際そうでもいいだろう」、「歴史や古文漢文は知ってると他人に偉そうに出来るので良い(最悪)」です。こんなこと書いて大丈夫かな?怖い……

あとがき

 本当はごちうさの感想や、現在TVアニメ2期が放送中のまちカドまぞくのことといった楽しいことも書きたかったのですが、字数的にちょうどいいと思ったので上げます。私自身で後で本記事を読んでみて、違和感や恥ずかしさなどを覚えたら大幅に書き換える可能性もあります。(2022年5月21日追記:大幅に書き換えました。)次回は楽しい内容の記事でお会いしましょう。