私の最初の電話

音ゲ等長文語りしていこう

2023年6月12日の日記

 私は大学で機械工学系の学部に入りましたが、入ってすぐの基礎的な講義でかなり苦戦しました。そんなことをふと思い出したので、今後、学部2年になりたての頃の私自身を相手にするという想定で、力学の入門の内容を解説する記事をいくつか書いていく……かもしれません。めんどくさくなったら自然に更新されなくなると思います。過去の私自身がわかればいいという気持ちで文章を書くので、他人から見ると笑っちゃうくらいわかりづらいかもしれません。ちなみに数式をLaTeX表記にするのが面倒なので、見づらいとは思いますがとりあえず通常文面(?)で数式も書いてしまいます。行列とか出てくることになったらLaTeXにせざるを得なくなると思うので、いずれは記事公開後の加筆修正によってLaTeX表記に修正します。

 そして、この記事は私が個人的に書いているものであって、内容が全然間違ってる可能性があることに気を付けてください

点の位置の表現

 まず、点の位置の表現についての話をしましょう。点の位置を表現するのには、以下の2つの方法がよく使われます。1つ目は、座標系、すなわち3つの実数の組を入れると点の位置を返すような写像(あまりにも歪な写像は工学では考えませんので、却下です。欲しくなる程度の滑らかさは前提と思ってください。)を作っておき、3つの実数の組(座標という)で点の位置を表現する方法です。2つ目は、原点と呼ばれる1点O(のみ)を決めておいて、Oから注目する点へのベクトル(位置ベクトルという)として点の位置を表現する方法です。位置ベクトルを用いて点の位置を表現する際、例えば→OP(「OP」の上に矢印を書きたい)と書けばPの位置ベクトルということにはなりますが、これだけでは具体的な位置がわからず、工学的に困ることがあります。そのときは、数学のベクトル空間についての講義で習ったように一次独立な3つのベクトルをあらかじめ用意しておき、(3次元ベクトル空間の元であって一次独立な3つのベクトルは基底ベクトルとなることに留意して)それらを基底ベクトルとしてそれらの線形結合で→OPを表せば、工学的にも具体的な位置がわかり、問題が解決します。ちょっとわかりづらかったかもしれませんが、要するに→OP=xe_x+ye_y+ze_zみたいに書くということです。

 教科書や講義はあまり重視してくれないがちなことですが、ここまでで述べた、座標による表現と位置ベクトルによる表現という2つの異なる方法があるということを認識することが重要です。直線座標系の場合は話が単純で、それゆえ2つの方法の違いを意識することは少ないです。直線座標系をとっていると、基底ベクトルを極めて自然にとることができます。すなわち、x方向に大きさ1のベクトルe_x、y方向とz方向についても同様にしたベクトルe_y、e_zの3つです。位置ベクトルの原点も自然のなりゆきにまかせて座標系の原点と同じにとれば、座標による表現が(x, y, z)の点Pについて、その位置ベクトルは普通に→OP=xe_x+ye_y+ze_zとなります。ところが直線座標系でない座標系をとるとこうはいきません。まず基底ベクトルをどうとるかというのがあまり明らかではありませんが、注目する点Pの位置によって基底ベクトルを変えていいという視点を持てば、点Pの位置において「座標の第1成分のみが増える向き」(例えば球座標系でいえば半径方向、詳しくはまたいずれ解説します)に大きさ1のベクトルe_1、第2成分と第3成分についても同様にしたベクトルe_2、e_3をとるのがまあまあ自然だと思います。ところがそのように基底ベクトルをとったとしても、直線座標系のときのように位置ベクトルがわかりやすい形で与えられるとは限りません。例えば球座標系を用いたとき、座標による表現が(r, θ, φ)の点Pに対し、上記のように基底ベクトルe_r、e_θ、e_φをとったとしても、θ=φ=0でない限り→OP≠re_r+θe_θ+φe_φです。ちなみに、r、θ、φによらず→OP=re_rとなります。直線座標系のときとは違っていてすこし奇妙ですね。

 どうでしょう。ここまでで、君(学部2年初めの私)が大いに疑問を持っていることのひとつがよく解決されたと思います。ここまで話したことは、私は結構大事なことだと思うんですけど、誰も教えてくれなかったでしょう。ところで君(学部2年初めの私)はここまでの話に対し、(「座標の第1成分のみが増える向き」以外)あまり「何故?」と問うことはなく自然に受け入れてくれると思いますが、ニヤニヤしながら「ベクトルってなんですか?」と聞いてくるかもしれません。そう、ベクトル、というかベクトル空間には代数的で抽象的な定義が存在し、君はそれにいたく感動したのでした。注目する集合に対し、ある体があって、ある「和」と「スカラー倍」の写像が定義できるとき、その集合と体と写像をセットにしてベクトル空間というのでした。工学においてベクトルといえば例の「大きさと向きを持つ量」と見るか、あるいは基底ベクトルの取り換えに対しある規則(なんでもいいので規則と呼べるものがあればいいという意味ではない)に従って変化する3つの量と見ることが多いのですが(後者になじみがないと思いますが、今後「テンソル」という概念を取り扱うときに重要になる考え方なので、詳しくはまたいずれ解説します)、数学における抽象的なベクトルの概念とそれに関する定理をかなり適用できるため、まあどっちの意識も持ちつつ先に進んでいけばいいと思います。君/私は、高校卒業の頃あたりからこういう「どっちの考えも大事」という思想を持っているでしょう/持っています。その思想は今になってもやっぱり大事だったと常々思います。

 ここまでで文章がそこそこの長さになったので今回の記事はここまでにしておきます。次があれば、座標変換の話か、速度・加速度の話になるかと思います。

2023年1月24日の日記

 いつからだったかはもう忘れてしまうくらい前から、「ゆる言語学ラジオ」というコンテンツを愛聴しています。最近これについて気になる話題があがってきたので急遽日記をしたためています。

やさしい、楽しい言論空間

 ゆる言語学ラジオへの批判を記したnote記事が投稿され、それがゆる言語学ラジオ本人にTwitterで言及されました。私も件の記事を読ませていただきました。私なんかが何だという感じですが、賛成するところもあり、そうでもないところもあるなあという何でもない感想でした。訂正動画を出してほしいというのとアクセント表記を説明して広めてほしいというのは「賛」でそれ以外は割と「否」かなという感じ。そんなことはともかく、ゆる言語学ラジオの高い民度がこの記事をよりよいコンテンツのための後押しに昇華してくれることを願います。

 さて、私は言いたいことがあります。私の前回の記事の「やさしい世界至上主義」にも通ずるところがあるものです。それは言論空間一般における「言い方」についてです。批判しあうことで議論が成長する、これは極めて健全な議論だというのはごもっともとして、それで批判される者の胃が痛くなったら健全ポイント減点ではないですか?現実空間ではこういう言い方のキツい批判をすることをよく「詰める」と言ったりしますね。あれを見る度される度、もっと物腰柔らかく言ってくれれば建設的な議論に発展するはずなのになといつも思います。

 翻って件のゆる言語学ラジオ批判記事は、インターネット空間では極めて冷静な方の文章だと思いますし、あの量の文章を書くにはそれ相応に言語学やゆる言語学ラジオについての考察が必要なはずであり、したがって尊重されるべきものです。それに対して極めて失礼な物言いですが、私的にはもうすこし上のレベルを要求したいです。機械工学のとある分野を専攻していて言語学については完全な門外漢のしがない大学院生の戯言ですが、この先仮にキツい言い方の批判が多くなると私にとってはそれは悲しいことなので、どうしても書きたくなって書かせていただきました。

2022年12月25日の日記

 お久しぶりです。2022年も年末という事で、年を越す前に1本更新しておこうと思います。記事を更新したくなるような出来事があったわけではありません。相も変わらず特筆すべきことのない日々を送っています。この記事も、残念なことにクリスマスイブに書かれています。これを証明するために、記事の随所に2022年12月24日以降にしかわからないようなことを散りばめようとも考えましたが、面倒過ぎるのでやめます。

やさしい世界至上主義

 大学などの学問の場で教員が学生に質問するとき、それは純粋な疑問からくるものなので威圧や叱責などの他意を感じ取らないで欲しい、というような意見をTwitterで見たことがあります。ここから先は完全に私個人の気持ちですが、私にとってこの意見は見当違いもいいところです。

 私は、指導が厳しくて良かったと感じた経験がありません。私に言わせれば、私への指導は優しければ優しいほど良いのです。指導する対象が、一切努力する気がなかったり、反抗的だったりする場合には、優しく接しようとしても無駄だったりする教育の困難があると思います。しかし、冒頭で述べたような学問の場では、学生はある程度やる気のある場合が多いでしょう。そこで、これ以降は一切やる気がないとか反抗的だとかの場合は除いて考えます。また、恩師の厳しい指導のおかげで大いなる成長ができて感謝しているあなたや、厳しい指導により組織に良い影響を与えまくっているあなたはこの話をあざ笑うかもしれませんが、それはそれとしてこの話はあなたには関係ありません。これは私の感覚です。私にとって、厳しい指導は苦痛を生むだけ生んで、優しい指導以上の効果をもたらさない、いわゆる百害あって一利なしのものです。それは何故かと問われても、経験上そうであるとしか言えません。指導の「良さ」は様々な要素を天秤にかけて決まるのであり、私は人々を納得させるに足る統計調査を行ってはいません。なので、これはあくまで私個人の気持ちのうえでの話です。

 では、私の基準によれば、指導する側は具体的には何を心がけるべきなのでしょうか。それは、指導される側の心情を推察し、気分が悪くなるようなことを言わないことです。この一文だけ見れば小学校の先生の説教といったところですが、逆に小学校の先生の説教みたいだからといって唾棄しているのではないでしょうか。ところが私にとっては、「そのような指導は優しい指導だ」、「ところで指導は優しいほど良い」、よって「そのような指導は良い」となります。例えば、Twitterでもよく目にする話で、生徒に数学の指導をしているときに逐一「それはなぜ?」と聞くことについて。数学は論理の積み重ねなのだから、論理の整合性を逐一確認することは数学の営みそのものであり、数学の指導には欠かせないのだ、などと独自の論理を展開するのは結構ですが、私の判断基準ではこれは良い指導とは言えません。なぜなら、その「それはなぜ?」によって気分が悪くなる場合があるからです。

 「それはなぜ?」だけで気分が悪くなるのが理解できない方もいると思うので、ここでこれについて少し述べようと思います。理由を聞かれたときに心理的に苦痛に感じるのはどのような条件が満たされたときでしょうか。いくつかあると思いますが、その条件の中でも重要なのは、それは「理由がやましいことであること」と、「明確な理由が存在しないこと」です。人間関係を語るうえでは「答えるのが面倒なこと」とかもあると思いますが、指導においてはあまり重要ではないと思います。前者の「理由がやましい」場合、理由を聞かれて気分が悪くなるのはわかりやすいと思います。ここで重要なのは、やましい理由があるなら厳しく問いただすべきだという論理は成立しないことです。どのような場合でも、指導は優しい方が良いという命題の真偽は覆りません。むしろ、やましい理由でも寛大な態度で聞き取ることで問題は前向きに進むものと私は思います。なおこれは、指導される側に問題があったとしても指導される側はそれについて責任を負わなくていい、ということを意味しません。優しい指導は責任の所在や改善策を明確にしやすいということです。一方、後者の「明確な理由が存在しない」場合についてですが、Twitterで「それはなぜ?」が話題になるときはこの場合が多いと思います。よく、「『それはなぜ?』と聞いたら『じゃあ(違う解答)!』と返されて頭を抱えた」という話を目にしますし。そういう話をする人は、この明確な理由が存在しない場合を想定していないのではないかと思います。仮に想定していたとしてもですが、生徒が「明確な理由はありません」と言いやすい状況を作っていないのではないでしょうか。指導する側が心の広い人でも、指導される側が「理由なんてないけどそんなの直接言えないわな……」となっていれば気分は悪くなります。

 以上を踏まえ、ただ理由を聞きたいときでも「それはなぜ?」では威圧や叱責に感じ取られてしまいそうなら、いちいち「理由があればでいいですが」や「言える範囲で大丈夫ですが」などと、気分が悪くならないようにするために必要なコーティングを施すのが私にとっての良い指導です。簡単に言ってしまえば、そういう問題点は指導する側が頑張って解決せよということです。不穏な雰囲気の接近を察知して回避する能力が問われますが、頑張りましょう。そんな赤ちゃんの養育みたいなことしてる人見たことないよという方、あなたが先駆者となるのです。

TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ました

 この文章を書いている今まさにTVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」最終回が終わったところで、興奮冷めやらぬまま書いています。とはいえ、長いことつらつら書くことはしません。ストーリー、映像、演出、音楽、とにかく面白かった!!!!!アニメ放送前に原作読んでなかったことや、音楽を全然嗜んでこなかったことが悔やまれる……!原作も買っちゃいました!これからも応援します!以上!

ご注文はうさぎですか?』2023年1月、2月号掲載分を読みました

 この先、漫画『ご注文はうさぎですか?』のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大変なことになりましたね。巷では、「ごちうさの最終回かその1話手前あたりで発生することではないか」と言われることもありました。しかしそれは突然やってきました。ごちうさを読んで呆然としたのは初めてです。

 私たち読者は、チノさんがラビットハウスを自分なりの喫茶店にしたいという気持ちを抱いているのを目撃しました。数巻前のチノさんではありえなかった状況に思いますが、今となっては納得できますし、ごちうさの世界でゆっくりじっくりと進んでいく人の変化を感じます。そして、このチノさんの変化はある意味でひとつのチェックポイントです。最近はココアさん達の進路選択および高校卒業が近づき、自分自身と向き合うことがよくフィーチャーされるなか、各々がやりたいことは何なのかが語られるようになってきています。そして、彼女たちが形作るセカイはそのやりたいことを認め合い柔軟に変化できるよう進化しつつあると思います。チノさんもこの流れに乗り、自分らしさについて考えることができるようになってきたのかもしれません。チノさんのおじいさんが天国に召されたことは、私たち読者にとってもどうしようもなく悲しいことですが、おじいさんはチノさんについて安心できるところに到達したのであり、私たちは一通り悲しんだらこれまで通り彼女たちの行く先を見守りましょう。

 ごちうさは、「気づいたらこんなところまで来ていた」が数多く現れる作品です。今回の件もそうで、それでもこれまでのお話を追っていると確かにそのような心境の変化が起こるかもしれないなと思わされます。2年目のクリスマスでの七色の魔法使いや、年上4人組の将来の夢、そして旅行編以降のティッピーの振る舞いや言葉、などなど。しかしごちうさでは、何が何につながるかという因果の構造が三段論法のように明確に存在するわけではありません。ごちうさの物語は一本の線のように連なっているのではなく、まず私たち読者の暮らす世界と同じような、3次元空間と(1次元の)時間が存在する時空があって、その一部を切り取って私たちに見せてくれているものと思っています。フィクションはフィクションでも、どこか現実世界に似ている。私はごちうさのこの性質に、親しみのような感情を抱いています。

 ところで、2023年2月号掲載分を読んで気になったのですが、ココアさんは一体何をどこまで知っているのでしょうか。ロゼさんがリゼさんと同一人物であることがバレたときはモデルガンを構えたときに初めて気づいたのであったり、かといってシャロさんが進路をカミングアウトした時に千夜さんとシャロさんの様子がおかしいのには気づいていたりと、何についてどこまで勘がいいのかわかっていないところがあります。チノさんのココアさんに対する想いの強さと、ココアさんが感じているそれにはどれくらい差があるのかは特にずっと気になっています。そして今月号、「よろしく」と言ったのはどういう意味だったのでしょうか。確かに、チノさん以外の人もティッピーにおじいさんが入っていることに実は気づいているのではないかということを考えたことはあります。流石にそれはないかなあと思っていましたが、この発言によりよくわからなくなってきました。またその後の「そばにいるのは変わらないよ」という発言も気になります。普通に考えれば(私たちが)そばにいるのは変わらないということだと思いますし、言いたくないことは言わなくても、それによって私たちがバラバラになることはないと解釈することができます。が、この発言がチノさんのおじいさんのことと重なってしまいます。偶然でしょうか。

2022年5月20日の日記

 前回の記事を公開してから、数か月ブログを放置し、気が付いたら忙しい時期になってますます記事の更新が出来なくなり、ずるずると約11か月が経過してしまいました。そして重い腰を上げて記事を書こうとしたとき、私のPC内に、ブログに書くネタとして思い付いたことをメモした「ネタ.txt」が存在するのを思い出しました。それを開くと、次のようなメモが残っていました。

 

・「凸」と「凹」の書き順は、うけばこを最後に書くことを意識するとわかる

 

(中黒「・」も含め)原文ママで、これのみが記されていました。なんだこのブログのネタにしろと言わんばかりの状況は。しかも、改めて調べてみるとそれらの漢字の書き順は諸説あるうえ、ブログを放置している間にQuizKnockさんの動画でも取り上げられてしまいました。本当にどうしようもないです。書き順については、あまり雑なことを書きたくないので、ご自分で調べてみてください。じゃあネタ.txtに書くな。

MOTHERをやった話

 私は小学生だか中学生だかのとき、『MOTHER1+2』というGBAのゲームを初代DSに差して遊んだことがあります。これはファミコンのゲーム『MOTHER』とスーファミのゲーム『MOTHER2』のいわば復刻版のゲームです。しかし、無印の方のMOTHERは最序盤(具体的には、墓場の探索あたりだったと思う)までしかやらず、MOTHER2の方をちゃんとやっていました。無印の方をちゃんとやらなかった理由は、「なんかよくわからなかったから」だったような記憶があります。

 時は流れて2022年2月10日、Nintendo DirectでMOTHER、MOTHER2Nintendo Switch Onlineへの追加が発表されました。そこで、数年越しにMOTHERをクリアまでやってみることにしたのでした。そこに想像を絶する地獄が待っているとも知らず……。

 大袈裟な前振りをしてしまいました。が、結論としては、私がMOTHER程度の不親切さで気が触れてしまうほど器の小さな人間であることがわかりました。あるいは単純に私が無能なのかもしれません。数時間、ひどいときは一日中ストーリーの進行方法がわからず、足踏み状態になることが何回か発生しました。MOTHERをやったことある人向けの、かつあまりネタバレをしない程度の説明をすると、まず序盤の動物園終了後で詰まりました。もうこの時点で、過去の私がこのゲームを途中で放棄した理由を悟りました。ひどかったのは、終盤で主人公がヒロインと踊りましょうみたいになるくだりのところです。そのイベントが発生する部屋に入るという選択に至るまで、かなりいろいろな試行錯誤をしました。ひとつ前の町まで戻ったり、マジカントに行ってみたり、砂漠の遺跡に行ってみたり。Switch Online特有のどこでもセーブも活用しまくりました。これをファミコン実機でクリアした人には尊敬します。「まだやってないのは……この部屋に入ることはしてないな……」と思い至り(場所的にはかなり近いが、私にとってはふつうそこに入ろうとは思わないであろう場所でした)、イベントを発生させることができたときは、新たな生命を誕生させることに成功したマッドサイエンティストみたいな笑いが出ました。血のにじむような試行錯誤の末、クリアすることができた私は、これをブログのネタに昇華させようと思うのでした。MOTHER、皆さんもぜひやってみてくださいね!

意見を持たない悲しきモンスターになりたくない

 Twitterでは、「社会に出ても使わない三角関数などやらずに……」とか「古文漢文が必修なのはおかしい」とかいう教育課程に関する意見が話題を集めるのがよく見かけられます。それに対して人々がとる態度は様々ですが、例えば次のような種類があるように見えます。

  • 無きゃダメだろう

三角関数は身近なこんなところで活用されている」とか「高校生が誰も古文漢文をやらなくなったらこの国は終わり」といった、人々が教養を無くすことを危険視した意見たちです。

  • 実際無くていいだろう

「人生で一回も使ったこと無いなあ」とか、あるいは「専門的な人だけ知ってれば社会にとっては十分でしょう」とかいう意見です。「無きゃダメだろう」派とは、そもそも「三角関数や古文漢文は『専門的』だ/でない」で思想の根本がズレていることが多いです。「無きゃダメだろう」派の人の「こんなところに役に立っている」に対し、「世の中のシステムの動作原理すべてを理解する必要があるのか?」という鋭い意見を飛ばすこともあります。

  • 教育課程で得られる教養を身に付けている人がその能力を活かせる社会であるべきだ

これは状況を少し深堀りした意見ですね。「三角関数を知っていることが役に立たない社会が悪い」ということです。厭世的な場合も建設的意見(のつもり)の場合もあります。

  • そんなことより■■■■だ!

これはもはや今回の題材が関係ないですが、Twitterでよく見るいわばあるあるで、「そんなことより動く点Pなんなん」とか「みんなが面倒なこと考えてる間に自分は(流行りのコンテンツ)をやる」とか「とりあえず何か書いとけ」とか「うちの猫がかわいい」とか雑多なものたちです。

 ここまで、私の筆の赴くままに好き放題書いてきました。改めて読み返すと、「お前は世の中の全てがわかった気になっているのか?」とさえ思います。さて、ここからが私の言いたいことで、ぶっちゃけ教育課程うんぬんの話はあまり関係ありません。そして、それは私自身への戒めです。

 私が言いたいのはそもそも、例えば先の4種類のうちのどれかのような、何らかの意見を持っておくべきだということです。言い換えると、俯瞰しかしないのはダメだということになります。4つ目の雑なやつでも、俯瞰しかしないよりかマシだと思います。インターネット上でいつも他人より上の「層」を目指して周囲を俯瞰し、1段落目のような文章を書きたくなっちゃうのは私の性であって仕方のないことと割り切っています。しかしこれは、自分自身の意見が存在したらそれもどこかの「層」に収まってしまうということへの恐怖を生んでしまいます。この恐怖にたじろいでいては、やがて意見を失って人間性を喪失した悲しきモンスターに変貌するでしょう。その最悪の終着点を避けるため、自分の意見を無理やりにでも持っておいて、人間性を確保しなければならないのです。

 ちなみに私の意見は、「三角関数といった理工系の教養が必須の時代になってくれたら私個人的に嬉しいし、データサイエンスの時代を謳うなら実際そうでもいいだろう」、「歴史や古文漢文は知ってると他人に偉そうに出来るので良い(最悪)」です。こんなこと書いて大丈夫かな?怖い……

あとがき

 本当はごちうさの感想や、現在TVアニメ2期が放送中のまちカドまぞくのことといった楽しいことも書きたかったのですが、字数的にちょうどいいと思ったので上げます。私自身で後で本記事を読んでみて、違和感や恥ずかしさなどを覚えたら大幅に書き換える可能性もあります。(2022年5月21日追記:大幅に書き換えました。)次回は楽しい内容の記事でお会いしましょう。

2021年6月26日の日記「バゼル周回メモ」

 こんにちは。元気にブログを更新していこうと思うのですが、今回1テーマしかありません。というのも、この1テーマで結構字数がかかってしまったからです。本当は他にも書こうと思ってることがあるので、それはまた後日の記事で書きます。

 それと、今回から記事のタイトルにどんな内容かを、私が見てわかる程度に記しておこうと思います。これは、後で自分で見返すときに便利だからです。過去の日記についても、後でタイトルを変更しておこうと思います。

バゼル周回メモ

初め3段落は前振りです。

 モンスターハンターライズ、やってますか?まあ皆さんやってると思うんですが、そんなモンスターハンターライザーである皆さんにとってドデカい問題の1つとなっているのが護石でしょう。護石集めは、その重要性と運要素の強さが問題のドデカさを形成しています。いい護石があればいい装備が組めるのはそりゃそうです。それで、よっしゃ良いの手に入れるぞと息巻くわけですが、装飾品ランダムだったMHWやMHWIの頃と比べ、ライズは護石ランダムシステムにより格段に闇のゲームとなっている気がします。これに関してはまあモンハンシリーズ通してみればW、WIの方が異端なのですが。

 そんな中、効率よく護石を集めるための手段として巷で流行ってるもの、というよりかは多くの人が歯を食いしばって勤しんでいる作業というのがバゼルギウスの周回です。斬裂ライトで楽々2分台!みたいな動画がVer2.0アプデ直後にYouTube上で乱立しました。かくいう私も、時間があるときに限りますが、ジンオウガライトボウガンを担いでバカスカ乱獲しては、出てくる護石の使えなさに気分を曇らせています。

 鬱屈としながら果てしないほどに周回していると、いつしかインターネットが教えてくれないような些細なコツの存在に気付いていきました。これは、体験版のあの鬼畜マガドでも起きた現象です。まあ、私が何度も周回したのがその2つということなのでしょうけども。世の中、本当に大事なことに限って、誰も教えてくれないものです。(?)

ここから本編

 そうして何度もバゼルを周回して気付いたちょっとした注意点を、備忘録としてここに記します。なお、以下に但し書きをしておきます。

  • ソロを想定しています。
  • 赤字の部分は、私がそこそこ非自明だと思ったものです。
  • ここに書いてあることが効率悪いみたいな可能性は全然あります。ご了承ください。
  • インターネット上で誰も言ってないことという訳では(もちろん)なく、私がメモしておきたいものをメモしています。
  • 装備やオトモについては、私は詳しくないので言いません。他を当たってください。私の場合は、ざっくり言っておくと、武器はジンオウガの斬裂速射ライト、オトモはファイトアイルーとガルクで、アイルーは強化太鼓持ちです。
  • ここの内容は、後日修正する可能性があります。

それでは、どうぞ。

バゼル周回についての気付きたち

  • エスト受注時だが、クエストは、上位→☆7を開いて右右上上上と入力した位置にある。
  • 入れ替え技はリロード、前転回避、扇回移動。前転回避で助かる命があります。
  • 食事は短期催眠、弱いの来い、[換算or金運or幸運or激運](日替わりのやつ)、[]内が無ければ火事場ド根性。ボウガンに効果のある暴れ撃ちとかは着弾の瞬間のダメージにのみしか効果がないらしい。
  • たまにはオトモ広場に行ってフグズクの巣を漁る。
  • エストが始まったらマップを凝視、適切な場所へワープ。バゼルに見つからない程度の適切な距離まで移動したら、怪力の種&鬼人の粉塵→閃光玉当てる→マタタビ玉使用→斬裂弾を撃つor扇回移動してから撃つ。アイテムの選択に数秒かかるが、道中で臨機応変に行う。閃光玉は後でも使う可能性があるので、画面右下のアイテムの選択枠は閃光玉のままにしておく。
  • 閃光玉を当てるときに、バゼルがこちらに背を向けていると少し面倒。なるべくこちらを向いているときに当てたい。一度頓珍漢な方向に投げて、こっちを向かせてからもう一度投げるという技もある。
  • 初手徹甲榴弾でスタンは正直やる必要ない。必要あったらごめん。
  • 寒冷群島のサブキャンプ1の大翔蟲に、翔蟲移動で速やかに乗り込む(?)のは難しい。練習あるのみ。
  • ホムラチョウは取らないこと。ホムラチョウは種&粉塵と重複しない。ホムラチョウのほうが攻撃力上昇量はわずかに大きいが、効果時間が1分と短い。
  • 紅ヒトダマドリは取ってよい。
  • バゼルから攻撃が来る態勢になる度、即扇回移動安定。突進については扇回で躱した後もう1回扇回で並走したい(鱗に突っ込まないよう注意)。(突進に限らず)扇回が間に合わなさそうなら前転回避。
  • (バゼルの)前方に鱗を撒いてブレスで爆破する攻撃は、(近接武器使いなら面倒だが、)ライトならチャンス行動。爆風が当たらない場所に移動して撃つ。
  • 飛ばれたら多分即閃光玉がいいと思う(本当?)。低空飛行のうちに閃光玉を当てられれば落とせる。飛翔後即高所からの爆撃態勢に入るパターンもあるし、爆撃態勢に入った後閃光玉だとどこかに突っ込んでいくうえ時間かかるけど。それでも落とせる可能性があるのはデカいと思う……多分。
  • 乙るとかなりロスになるので、乙らないようにちゃんと回復はする。
  • たくさん飛ばれるとその分時間を食われることになるが、こればっかりは仕方ないので諦める。
  • めちゃめちゃ背を向けられて回り込むのに時間がかかるようなら尻尾狙いもあり。
  • 斜め後ろからは意外と頭狙える。
  • いい感じにひるませることができれば別だが、基本咆哮は食らうもの。食らいながらも(弾の)調合ならできる。十分距離を取ることが出来れば食らわずに済むが、撃つのをやめるのもアレだしなあ。
  • 捕獲には捕獲用麻酔「弾」の方が速い。オトモアイルーの捕獲の合図が出たら、捕獲用麻酔弾を2、3発撃って武器をしまう。その後、飛ばれる可能性があれば閃光玉で防いでおく。罠を置いて捕獲。
  • オトモに麻痺武器を持たせるか否かだが、正直オトモの麻痺属性は不安定で(これ私が悪いの?)、麻痺弾撃っても全然麻痺ってくれないことが結構あるので私はもう普通にバルファルクの武器を持たせてる。麻痺には頼らない。
  • メインターゲットを達成したら全力で落とし物を拾う。20秒は短い。拾いきれないこともままある。

2021年5月21日の日記

はじめに

 こんにちは。前回の記事では、話ひとつひとつにサブタイトルみたいなのを付けようかとも考えたものの、なんか止めておこうとなって見出しに「話1」「話2」などと付けました。ただこれがあまりにも味気なく感じたので、今回はちゃんとしたサブタイトルを付けます。

カルトクイズをやりた~い!

 私は普段、YouTubeでQuizKnockさんやカプリティオチャンネルさんの動画を観ていて、最近に至っては朝灼けリパブリックさんの動画にまで手を出し始めた次第です。そんな生活をしていると、度々こんな問題はどうだろう?と考えることがあります。例えば次のようなものです。

Q. TVアニメ『ご注文はうさぎですか?』第1期第1羽のサブタイトルは何でしょう?
A. 「ひと目で、尋常でないもふもふだと見抜いたよ」

この問題、「尋常ではない」ではなく「尋常でない」だったり、筆記で出すなら「一目で」ではなく「ひと目で」であるなどのつまづきポイントがあります。こんな問題は普通の人には出せません。出せるとすれば、それはごちうさのオタクの前でだけです。このように、一つのジャンルに特化したマニアックなクイズをよく、カルトクイズといいます。カルトクイズ、やってみて~!他の人たちがめちゃくちゃニッチな問題で早押し対決してるの、見てみて~!上の問題なら、1問目で、「1問目なので」感を出しながら出題されることでしょう。そのあとには、普通に

Q. 小説家青山ブルーマウンテンによる連載「青山はらぺこグルメマウンテン」が掲載されている雑誌は何でしょう?
A. Walker

といった問題が出題されるのでしょう。最後にもう一問貼って、私からは以上です。(答えは本記事の一番下(ググればわかるけど))

Q.ドイツ語で、「黒い森のサクランボケーキ」という意味があるお菓子は何でしょう?

モンハンをやってるけど特に書くことは無い

 モンハンライズ、大いに楽しませてもらっています。私は主にハンマーを使っているのですが、最近、というか昨日、翔蟲使いLv.3を導入してみたところ、インパクトクレーターをバンバン打つことができてすごいなと思いました(小学生)。あとは、最近護石で装備BOXがいっぱいになってしまって輪廻を回そうと思ったのですが、選ぶのがかなり面倒で、Ver3.0での改善を期待しています。

まんがタイムきららMAX2021年7月号のごちうさ

 ネタバレにご注意ください。









 フユが木組みの街の人々との交流を深めていると思えば、唐突にあんことの出会いというめちゃくちゃ重要な過去が公開されてびっくりしました。私たちは彼女たちについてどれだけのことを知らないのかがわからない。こうして新しいことを知って、もっと好きになる、またこれからももっと好きになれるだろうという点においてフユと同じ気分です。木組みの街全体が(あんこがそうしたように)新しい人を招き入れて、招かれた側からも「これからもっと好きになる」という言葉が返ってくるのが頼もしくて。










先のクイズの答え
Q.ドイツ語で、「黒い森のサクランボケーキ」という意味があるお菓子は何でしょう?
A.シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ
注記:ごちうさ単行本7巻p.65右3コマ目より。フランス語でフォレノワールと呼ばれることもあるらしく(ぷよぷよのレムレスが言ってるのこれか~)、そこらへんでごちゃつくのであまりいい問題ではない。

2021年5月10日の日記

はじめに

 ご無沙汰しております。

 というのも、このブログをこれからどうしていこうかと長いこと考えていたためです。如何せん続かない。本当はというもの、ごちうさ9巻や3期のことで長文をしたためてやろうと考えてたものです。しかしそうなると5桁文字ほどの文章を書くことになりそうで、またそんな長文を書いていると、数値計算の誤差のように真の自分の気持ちと文意が離れていきそうで怖くなってしまったのです。

 そして、長い思惟の後、日記としてのブログの使い道を思い出すに至りました。これからは、140字じゃ何だか足りないようなことをちょいちょい書いていくことにしようと思います。

話1

 高速フーリエ変換、略してFFT(fast Fourier transform)って結構使う手法のわりにあんま大学の授業で扱われないように思います。一方、複素関数論は留数定理や実関数の積分への応用まで授業で扱われるように思います。いやまあ複素関数も大事なのはわかるんですが、なんか片手落ち感を感じるんですよね。

 話を広げると、とりあえず機械工学って広い!!!「私機械工学やってます」って言うのは「私スポーツやってます」っていうのと同じくらい曖昧なものだと思っています。なんかもっといい感じに体系立てて勉強する方法無いんすかねってずっと思ってます。あと最近はYouTubeで授業をしている方々がいてすごい時代になったなあと思うわけですが、その流れが来るのが私にとってどうにも「一歩遅く」て、私もあと3、4年遅く生まれてたらなあとか思ってます。

話2

 Twitterを眺めてると定期的に生協PC叩きが発生していて、何も知らんで生協PC買った私はそのたびに肩身が狭い思いをしています。まあ生協PC叩きが発生するのはいいとしても、じゃあ何を買えばいいのか教えてくれ!生協PC叩きツイートのリプであのPC買えとかいやあれの方がとか議論すんな!MacBook Proにしとけだ?入った学部学科がMac非対応ソフトばっか使うとこだったらどうすんだよ!

 私みたいに何も知らん人って「普通に○○を買う」とかいう感覚がわかんないので、そこんとこすり合わせていい感じにまとめて2、3月辺りに情報を拡散させることができればいい世の中になりそうですね。誰かやって下さい。

話3

 「違うかー」って言う芸人さんが居た気がするなあと思って調べたら「ものいい」という方らしいです。YouTubeチャンネルを作っているらしく、私が見た時点(2021年5月10日19時頃)で登録者数559人だそうです。

 こういう日常のどうでもいい気付きもこれからはブログに書いていこうかな。

話4

 ごちうさとかの話もここにちょろっとだけずつ書いていくことにします。何の話を取り上げるかも気分で、あるいはランダムに決めます。

 今回は9巻第9話「リトル*トレジャー*ハント」を取り上げます。本話は、高校入学を控えたマヤとメグの「本質」、変わっていく日々と変わるまいとする/そして変わることのない友情に迫るものであり、これにより2人がぐっと「視えて」きてさらに好きになりました。「同じペースで歩こう」という言葉にはキャラソン『リトル*トレジャー*ハント』の歌詞「1歩!2歩!近づいてく3歩!4歩!踏みしめて」を想起させられてドキッとしちゃいましたね。「リトル*トレジャー*ハント」を読んで、『リトル*トレジャー*ハント』を聴いて、マヤメグのこれからと、今はできそうにないイベントDJ Nightのこれからに思いを馳せます。